ダンクへの道/ マイルストーン

ダンク挑戦が止まった理由。そして、もう一度始める理由

50歳を前にダンクへの挑戦を宣言してから、更新が止まっていました。何が起きたのか、なぜ止まることは失敗ではないのか、そしてどう再開するのか。正直に書きます。

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「Starting Again」の見出しと、リングに向かって弧を描くボールの軌道を線画で描いたカバー画像。

2025年9月、このサイトで宣言しました。50歳を目前にした自分が、ダンクに挑戦する、と。経過は正直に報告します、とも書きました。本気でした。

その後、何が起きたか。ご覧のとおりです。トレーニング日誌もなし、測定結果もなし、劇的な挫折の報告すらなし。ただ、静かに止まっていました。この記事は、その沈黙の説明であり、そして再開の宣言です。

そもそも、何を目指していたのか

発端は、最初の記事に書いたとおりです。日本で生まれ育ち、バスケットボール歴だけは無駄に長く、いまはアメリカで暮らしています。ダンクは、できません。それでも50歳が見えてきたこのタイミングで、あえて挑戦してみることにしました。できるかどうかは分からない。分からないからこそ面白い。当時そう書きましたし、その気持ちはいまも変わっていません。変わってしまったのは、更新の頻度のほうでした。

実際に何が起きたのか(ほぼ何も起きていません)

正直に書きます。最初のトレーニングは、数日で止まりました。以上です。怪我をしたわけではありません。決定的な出来事があったわけでもありません。仕事が忙しくなり、生活に飲み込まれ、「今日は無理だから明日」が静かに積み重なっただけです。習慣になるはずだった時間は、スケジュール上のあらゆる争いに敗れ続けました。

再開しようとは、何度も思いました。来週から。いや、来月こそ。でも沈黙が長引くほど、再開のハードルは上がっていきました。今さら更新するには「説明」が要る気がして、「数日でやめました」と書くのが気恥ずかしくて、結局何も書かない。振り返れば、それが一番の失敗でした。止まったことではなく、黙っていたことが。

大人の挑戦は、なぜ続かないのか

熱意とともに始めた運動習慣が、一週間もたずに消えていく――経験のある方なら、この流れはよくご存じだと思います。モチベーションは点火剤としては優秀ですが、燃料としてはほとんど役に立ちません。目標を掲げさせ、宣言させ、記事まで書かせてくれます。でも、長い一日の終わりにシューズを履かせてはくれません。

40代後半ともなれば、条件はさらに厳しくなります。仕事はこちらの垂直跳びの都合を待ってくれませんし、家庭もそうです。体力は「あって当たり前のもの」ではなく「配分するもの」になっています。これは言い訳ではなく、地形の話です。最初の計画は、この地形を無視していました。悪い週が一度もない人生を前提に組まれていて、そんな人生はどこにも存在しません。

もうひとつ、静かな罠があります。「完璧にやるか、やらないか」という発想です。計画が野心的であるほど、1日サボることが何かを壊したように感じられます。2日サボると全体が台無しに思えて、考えること自体を避けるようになる。そして回避は、複利で膨らんでいきます。数日の停滞が数か月の沈黙になったのは、目標が死んだからではなく、「停滞したあとどうするか」を決めていなかったからでした。

「止まった」は「失敗した」ではない

止まったことが失敗なのではない。止まらなかったふりをすることが、失敗だ。

沈黙の数か月のどこかで、捉え方そのものが間違っていたことに気づきました。中断して再開する挑戦も、挑戦です。というより、現実の挑戦はたいていそういう形をしています。この企画の価値がなくなるとしたら、それは嘘をついたときです。何事もなかったような顔で数か月ぶりに更新したり、最初の記事をこっそり消して仕切り直したりした瞬間に、この記録は意味を失います。

だから、はっきり書いておきます。私は数日でやめました。ただ、それで話が終わるかどうかは自分で決められます。終わらせないことに決めました。

再開のやり方――遅く、小さく、崩れない形で

挑戦の第2バージョンは、前回とは違う前提から始めます。先に断っておくと、ここにトレーニングプログラムは載せません。私はトレーナーでも医師でもなく、このサイトは「真似するための計画」ではなく「一人の記録」だからです。そのうえで、再開にあたって決めた方針は次のとおりです。

  • 悪い週を生き延びられる小ささにする。忙しい時期が来たら、練習が消えるのではなく縮むように設計します。
  • 強度より頻度。一回の伝説的なトレーニングより、地味に続くことを優先します。
  • 時間軸は年単位。前回は、口には出さないまでも早い結果を期待していました。今回は最初から長期戦とみなし、気長さも挑戦の一部と考えます。
  • 回復を尊重する。もうすぐ50歳です。またゼロからやり直すくらいなら、ゆっくり進むほうがいい。無理が来たら、自分ではなく計画のほうを曲げます。

これから測っていくもの

最初の記事で約束した経過報告(Dunk Diaries)を、今度こそ始めます。感覚ではなく数字で語れるように、次の項目を記録していくつもりです。

  • スタンディングリーチ――立った状態で手が届く高さ。ダンクの計算はすべてここから始まります。
  • ジャンプタッチの高さ――実際に跳んで届いた最高点。
  • 推定垂直跳び――上のふたつの差。時間をかけて追いかけます。
  • 継続回数――実際にやれた練習の数。この一年を振り返ると、いちばん信用できる数字はこれだと思っています。

お気づきのとおり、この記事に数字はひとつもありません。意図的です。正直な数字をまだ持っていないので、推測を載せるくらいなら何も載せないことにしました。最初のベースライン測定は、今後の記事で淡々と公開します。たとえ情けない数字でも。むしろ、情けない数字だからこそ。

「記録する」と「うまくいったふりをする」の違い

世の中の変身ストーリーは、たいてい同じ編集をされています。カットされるのは、途中のぐだぐだした部分です。宣言と達成だけが映って、そのあいだの「何も起きない数か月」は誰も見せません。理由は分かります。沈黙は数字にならないからです。でもその編集は、「停滞は恥ずかしくて珍しいこと」という誤解を静かに広めてもいます。停滞は恥でも例外でもなく、野心的な目標にほぼ必ず起きる、いちばんありふれた出来事です。

というわけで、Road to Dunkの今後の編集方針です。退屈な週も報告します。進歩ゼロの月も報告します。もしまた止まったら、それも、そこから学んだことと一緒に報告します。ダンクができるようになるとは約束できません。正直な人間なら、誰も約束できないはずです。約束できるのは、仕事に追われる50歳目前の体が本気で試みた、加工なしの記録だけです。

ここからの話

次のRoad to Dunkの記事は、ベースライン――つまり正直な初期測定になる予定です。いまの自分とダンクのあいだにどれだけの距離があるのか、目をそらさずに測ります。その先の経過報告は、コンテンツカレンダーの都合ではなく、現実の進み具合に合わせて出します。

もしあなたにも「宣言して、始めて、数日で静かにやめた挑戦」があるなら、この記事を再開の口実にしてください。空白の期間は失敗の証拠ではなく、ただの余白です。続きは、いつからでも書けます。