Half Cent Hoop について
長く続けるために
バスケは、ずっとそばにあったスポーツです。雪国・新潟の山あいで育ち、マジックとレイカーズの中継にはまりました。中学校にバスケ部がなかったので、部活の輪の外で、空き時間と見つけたコートを頼りにひとり練習して身につけていきました。カリフォルニアへ渡り、本場のコートで自分の限界もはっきりわかりました。ニューヨークとニュージャージーでは仕事と家族の暮らしを重ね、33歳でアキレス腱を切って一度は離れ、38歳でまた戻ってきました。これからも焦らず、長く続けたいと思っています。このサイトでは、これまでのことを正直に書き残します。
名前の意味
なぜ Half Cent Hoop なのか
セント(cent)は100。その半分で、50です。
五十が近づいたいまも、部活のなかった雪国の町でひとり覚えたバスケを続けています。名前の意味はそれだけです。半世紀の折り返しに立って、まだコートにいる人間。
同時に、ここに何を書くのかという約束でもあります。ゴールテープのある復活劇ではなく、続けるための地味な話。この歳で効くトレーニング、本当に必要な道具、そして何も起きなかった週のことも。
はじまりの場所
ゴールとテレビと、強い好奇心
バスケが好きになったのは早い方でした。中学三年生の頃には、もうマジックのプレーとレイカーズのリズムに夢中でした。学校にバスケ部がなかったので、部活の輪の外で、見つけたコートと空き時間をかき集めて、ひとりで身につけていくしかありませんでした。
正式な部活は陸上と卓球でした。規律があって、身体の使い方にもよかったと思います。でも本当に勉強していたのは、衛星放送のNBAでした。近所にアンテナが立って、ある日から試合がはっきり映るようになったのを覚えています。映像を何度も巻き戻しながら、なぜそのパスが通るのかを考えていました。
バスケの本場へ
カリフォルニア、トライアウト、そこで踏みとどまった話
アーバイン・バレー・カレッジ(カリフォルニア州)
高校生の頃もバスケは好きでした。バスケの本場であるアメリカで、自分がどこまで通用するか試したかったんです。一年働いて貯金して渡米し、アーバイン・バレー・カレッジに入学しました。トライアウトを受け、二回目のトライアウトでコーチからチームに入るように言われました。
そのとき、自分の限界もはっきり見えました。競技から身を引き、学業に振り切ると決めました。名残惜しさを叫ぶような演説ではなく、地に足のついた判断です。コミュニティ・カレッジを卒業するときも、その方針は変わりませんでした。
コートの外でつくってきた暮らし
ニューヨークとウェブと、ニュージャージーの家
もともとは四年制大学に編入するつもりでした。いろいろあって、結局ニューヨークで暮らすことになりました。ウェブまわりの会社を立ち上げ、小さく始めて、だんだん形になっていきました。そのあいだに人を雇い、不安な時期もありましたが、続けられるペースに落ち着くまで、ずいぶん長い仕事の時間が続きました。
いまはニュージャージー州オラデルで、妻と子ども三人と暮らしています。バスケが生活の中心ではなくなって久しいですが、生活から消えたわけではありません。
一度離れて、戻って、いまは違う軸で
怪我とオフ、そしていまの目標
33歳のとき、本気でバスケに戻ろうとしました。すぐにアキレス腱を断裂しました。もう一度、引退したような気分でした。終わったはずの話に、また一区切りがついた感じがしました。
38歳のとき、友人に誘われてまた戻りました。いまは楽しさと健康と、長く続けることを優先してプレーしています。身体が許すなら70代でもコートに立ちたい、くらいの目標は持っています。その「長い試合」という考え方が、Half Cent Hoop の根っこになっています。
もう誰かに見せるためのプレーではありません。できるだけ長く、このスポーツの輪にいたい。その気持ちだけです。
子どもたちのこと
三人とも、誰にも勧められずに始めた
子どもが三人いて、三人とも5歳でバスケを始めました。私がボールを持たせたわけでも、どこかに申し込んだわけでもありません。一緒にNBAや大学バスケの中継を見て、私がプレーするのを見ていた。それだけです。
ピックアップゲームに連れて行っていたのは、ほかの預け先を考えるより、そのほうが簡単だったからです。最初は体育館の端に座っていた子たちが、そのうち試合の合間にサイドのゴールでシュートを打つようになり、次はいつ行くのかと聞くようになりました。自然にそうなったという感じです。
子どもたちが始めたことで、見えるものが変わりました。AAUや学校のバスケ、アメリカの育成の仕組みについてここに書いていることの多くは、外から調べた話ではなく、その中にいる保護者としての実感がもとになっています。
生まれ育ったところ
雪国育ち
生まれは入広瀬村で、いまは合併して魚沼市の一部になっています。2026年時点で48歳です。バスケ、渡米、仕事、家族、怪我、そして再開。どれもこの人生に色をつけていますが、どれひとつですべてを説明できるわけではありません。
なぜこのサイトをつくったか
誰のためのサイトか
このサイトが向いているのは、大きく二種類の人です。そして実のところ、この二つはかなり重なります。
ひとつめは、五十歳前後、あるいはとうに越えていて、それでもまだ続けるつもりの人。全盛期を取り戻すためでも、何かを証明するためでもなく、十年後、二十年後もコートに立っているために。だから書くのは、いまの年齢に合ったトレーニング、話題性ではなくフィットで選ぶ道具、そして何が効いて何が続かなかったかの正直な記録です。
ふたつめは、息子や娘にアメリカでプレーさせたいと考えている家庭。AAUやトラベルチーム、学校のシーズンとトライアウト、リクルートの実際、そして時間とお金がどれだけかかるのか。外からは誰も説明してくれない仕組みを、順を追って書いていきます。
そしてもうひとつ、自分のための記録でもあります。コートにいた自分と、そのそばにあった子どもたちの時間の。
時間をかけて、体育館や観客席で「これがあれば」と思うあの手の不便から、小さなツールもつくりたいです。派手さはいらず、ちゃんと役に立つものだけを積み上げたいと思っています。